日常の中の非日常

 こんばんわ。タイトルに書いてあることは多分僕がよく探していることです。

日々の中で目に映るものをどれだけ本当に見えているんだろうと、ふと思ったりします。

例えば、天気のいい真昼間、灰色がかったとあるマンションの端から端までのベランダで風に揺られるバスタオルのカラフルさだったり

横断歩道の白線の間で散らばるガラス片が反射する鋭くも柔らかい光だったり

雨の日に水溜りの中で変わる信号機の色だったり

そのどれもが見ようとしないと見えない景色だと思います。見ようとする心がある時だけ見える景色なのでしょうねきっと。

「子供の時にだけ見えるモノ」って、創作の世界でよく出てきますよね。でも僕は大人になっても……あくまで感覚の話ですけど、そういったものを「見る力」って無くなるってことはないと思っています。

大人になると周りの環境がどんどん複雑になって、見えにくくなるだけなんじゃないかなって。

疲れたり、不安だったり、ムシャクシャしたり、そんな時には何にも見えなくなるんですけど、どんなに暗い夜道でも端っこの方には可愛らしい花が身を潜めていたりするわけで。

そんな存在に気づけたら僕はそれこそが非日常だと思っています。

気づけたから何なの?って声も自分自身の中から聞こえてきそうなんですけど、そいつには「何故か嬉しくなるし、ワクワクするんだよ!」と肩を揺すりながら大声で答えます。

もし、ここまで読んでくれた人で今、疲れていたり、何かが辛かったり、悲しかったりしたら自分の知る大きな景色の中の小さくて細かい部分に目を向けてみるのはどうでしょうか。

何か面白いものを見かけたら是非教えて欲しいです。

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